フジワライズム
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■ 第11回   岡村 瑤子 ・・・・・・・・・・・・・  vol.28   2000年1月



2000年の初頭を飾るのは、日本のネイルビジネスを華やかな舞台に導いてくれた功績を高く評価されている人、岡村瑤子さんです。創世期の業界において「大村崑の奥様もやってるネイルアート」という表現が、如何に一般社会におけるネイリスト・イメージのプラスに働いたかは、当時の記録にたくさん残っています。いつまでもチャーミングで、国際的な抜群なセンスを誇るYOKOさんの不思議な魅力に迫ってみました。

神戸・六甲の小学校2年生の時に終戦を迎え、お父さんのお仕事の関係で、米軍のご家族と接するようになってから、アメリカン・ライフに憧れ、早速、神戸のアメリカンスクール(セントマリア女学院)に転校。8歳にして日本に居ながら、言葉のわからない外人ばかりの学校に通うことになり、瑤子さんの好奇心旺盛な半生が始まった。
学生時代は、もっぱら音楽を聴くのが大好きで、ラジオのFEN「ヒット・パレード」や、アメリカ映画のミュージカルに夢中になり、将来はジーン・ケリーやアステラにように、自由自在に踊って歌える女優になりたいと夢見る少女でした。ネイルに興味を持ったのは、母親が「女の身だしなみ」だからと、髪の毛や手足の手入れをこまめにする人で、それを見て育ってきたので、当たり前の様にしていたが、アメリカの無線仲間を訪ねた時に、奥様が驚くほどの長い爪をして、平気でハンドルを握っているのに感動、初めてみたスカルプチア・ネイル「一瞬にして長くなるのよ」と教えられ、その魅力にハマってしまいました。それからというもの、フロリダのネイルスクールの校長宅に一ヶ月居候し勉強したり、東京のアン山崎の所にも一年以上も通っていました。

そして、1984年にロバートサンダース氏と出会い、そのネイルアートに身震いがする程“大感動”。
以来、師と仰ぎ「カラーミスト」のペイントを大切にしてきたが、彼がネイルから身を引くことになり、日本で納得のいく製品を創ることを考え、ケミストとテストを繰り返し完成したのが、現在の「YOKO COLORMIST」。一番弟子の金子実由喜さんら、若い人の協力を得て“エアーブラシ ネイルペイントのクイーン”としての揺るがない地位が確立されました。
ご家族は、ご主人の大村崑師匠と、二人の息子さん。ご長男は結婚して独立、次男は独身でハリウッドで映画の助監督をしている。何でも欲しがる(?)瑤子さんは趣味も多彩で、旅行・歌・ボディービル・おしゃれ・パソコン等々、最近こっているのがイタリア語とカンツォーネ。語学を上達させ、レパートリーを増やすため目下お勉強中。

ご主人とは、TV局のディレクターを尋ねた時、ドラマのリハーサル中だった崑さんと目線が会い、マスコミのスクープなどもあって7月に知り合い翌年3月にスピード結婚。ネイルに対してはとても理解があり協力的で、唯一の条件は「まず家庭、2番目がネイル」ということだけ。始めた頃は夜遅く迄、モデルになってくれたようです。
毎日の生活は、オフィスワークが主ですが、合間をぬってご主人と田舎の別荘“崑の村”に出掛け、厨房に入ってお客様のためにご自慢のピザを焼いたり、週末にはジャズショップで歌ったり、イタリア語の家庭教師も来たりの公私共にお忙しく、充実した日々を過ごしていらっしゃいます。

若い人たちへの独り言。「長い時間をかけて、私たちはネイルという御輿(みこし)をこつこつと作り上げてきました。その御神輿を担いで町内に練りだして、お祭りをされるのが協会です。お祭りには商いが付き物です。皆様はそれを活用してどんどん豊かになって戴きたいと思います。でも、こつこつと御神輿を創った人たちが居ることを忘れないでください」長い辛抱の時代を過ごしてきた先人達を代表する愛情溢れるお言葉でした。

ところで、YOKOさんの素敵なお店「ズーム」のスペルを知っていますか?「上昇気流に乗る」等の意の“ZOOM”よりも、“O”がひとつ多く、3つ並べて“ZOOOM”が正解です。

<2001年1月記 原文>

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